高校3年は進路を決める時期
高校3年になると、進路の話になる。そういうことを考えないといけない時期だ。まだ働きたくなかったので、進学を選択した。
通っている高校の学力は当時下から数えた方がはやいレベルで、大学に進学する人は年に1人とか2人とかいう感じだった。我々の学年もそんな感じだった。
まあ、よくある特に良くも悪くもない田舎の高校なのだ。
当然、自分にも大学へ進学する学力はないので、専門学校という選択肢もあったのだが、なんとなく大学卒業という肩書の方が、将来つぶしがききそうなので、大学進学を希望していた。
捨てる神あれば、拾う神あり
しかし自分の偏差値は、30とか良くて40だとかその程度。行ける大学は限られてくる。というか、ほとんどない。夏期講習なんか通ってみるが、成果はゼロ。
一応あせりはするけど、入学できる大学がないのなら、面白そうな専門学校もあったので、それでも全く構わないと思っていた。仲の良い連中も東京の専門学校に行くし、俺もそれでいいな、と内心それに決めていた。プランBってやつだ。
ある日、なぜそう思ったかきっかけは全く覚えてないが、“留学”という選択が自分にあることに気が付いた。
アメリカの大学は入るのは簡単。何かの本で読んで、そういう情報も入ってきた(後に、その情報は自分には、全く当てはまらないことを痛感することになる)。
それならば、と。
留学しようじゃないか、と思うのが人情だ。
日本では受け入れらない自分だけど、海外では受け入れ先がある。
捨てる神あれば、拾う神ありだ。
アメリカのどこへ行こうか?
早速、留学斡旋会社を適当に決めると、後は行き先を決めるだけだ。まず国はアメリカ。これはもう自分の中で、アメリカ以外考えられなかった。積極的な意味ではなく、視野の狭さからくる決定で、今ならヨーロッパやアジア諸国をはじめ、オーストラリアも選択肢にあるだろうけど、当時の田舎の高校生なんて、はっきり言って文化度は低いから、外国と言えばアメリカをなんとなく想像するくらいで、他には何にも思い浮かばない、というありさまだった。
その斡旋会社が提示してきた大学は三つ。
・ニューヨーク州立大学のひとつ
・ミシガン州立大学のひとつ
・カリフォルニア州立大学のひとつ
ニューヨークか。ほほう。いいじゃないか。でもなんだかデンジャラスな気もするな。田舎者の18歳には、ニューヨークという響きは、あまりにもハードルが高すぎた。
次にミシガン。
・・・・・・・。
特に感想なし。
最後にカリフォルニア。
カリフォルニア。太陽が燦々と輝く青い空と、キラキラ光る海。ハリウッドやLA、サンフランシスコなどもある。何より日本と太平洋を挟んだお隣さんの州だ。本州と同じくらいの大きさというのも、親しみが沸くではないか。
ということで、カリフォルニアに決めようかと思い、親に言うと
「そこは2年制の短大だな。どうせいくなら、4年制の大学に行きなさい」
はあ? 日本の大学でどこにも行けないから、アメリカの大学に行くことにしているのに、そんな高望みしてどうする?
「あのさ、まずは2年制の大学に入って、それから編入でもすればいいと思うよ。ニューヨークやミシンガンの大学の方がレベルが高いみたいだから」
「カリフォルニアって、ヒッピーとかの文化のあれだろ? あぶないからやめとけ。お前のことだから、心配だ」
え? そうなの? ヒッピーとかの文化って何?
「カリフォルニアだめ?」
「だめ」
「どうしても?」
「どうしても」
金を出すのは親だし、留学をする、という大枠さえはずしてなければ、それほど嫌ではないので、ミシガンの大学に行くことにした。
理由としては、ニューヨークは危なそうだ(これも後にとても誤解だったことが判明する)。それに学力が一番高いということもある。
TOEFLという英語力を図るテストがあるのだが、大学によってその入学基準点が異なる。
だいたいこんな感じだったと思う。20年以上前の話だからちょっと違うかも。TOEFL自体も少し形式が変わったとかききます。
・ニューヨーク州立大学のひとつ:550点(英検準1級程度)
・ミシガン州立大学のひとつ:500点(英検2級程度)
・カリフォルニア州立大学のひとつ:450点(英検準2級程度)
ミシガン。馴染みはない。少し調べてみると、
・五大湖に接している。
・冬寒いらしい。
ふ~ん、って感じだ。でもまあ、そこで構わないかな。特に深く考えるでもなく、軽い感じで決めた。今は割といろいろ考えて行動するタイプだと思うんだけど、昔はとりあえず動いてみて、動きながら考えるタイプだったかも。いや何も考えてなかったかもしえない。まあ、高校生なんてそんなものだろう。
渡米した後、どうやったら、大学へ入学できるかも、資料で確認した。
前述したTOEFLをまず受ける。そこで500点に満たない留学生は、英語学校へ入学。そこではレベル1~5まであり、その点数によって、クラスを振り分けられる。
その英語学校で500点取れるようになると、大学に正式に入学できるという図式だ。これは、まあどこの大学も似たようなシステムだったと思う。
留学するので受験勉強をやめる
というわけで、受験勉強は一切やめた。もともとしてないけど、宣言してやめた。その代わり英語になじむように、洋楽をきいたり、洋画をみたりして過ごすことにした。
当時良く聞いていたのは、『スタンド・バイ・ミー』のサントラ。
オールディーズの名曲が目白押しですごく良い。極端に変な発音とかもしないし早口でもないので、英語になじみたいのなら、割とオススメ。
ちなみに、当時の俺の英語力は
Hello.
My name is...
Excuse me.
Sorry.
程度は口にできるけど、あとはからっきしだった。行けば何とかなるか、としか思ってなかったし、今だからこそ言うと、行ってもきっと何ともならないだろうから、その時は日本へ帰ればいいや、とさえ思っていた。
準備とは言えない準備をしつつ、夏が終わり友人たちにもアメリカへ行くことを伝える時期にもなった。
次回へ続く。